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福岡地方裁判所 平成7年(ワ)3059号 判決 1998年5月25日

呼称

原告

氏名又は名称

森田喜一郎

住所又は居所

福岡県福岡市南区高宮五丁目一番一号Sー一二〇四号

代理人弁護士

矢野正剛

呼称

被告

氏名又は名称

古田福雄

住所又は居所

福岡県福岡市東区箱崎一丁目二五番一号

呼称

被告

氏名又は名称

佐藤誠

住所又は居所

福岡県福岡市東区水谷三丁目一七番一三号

呼称

被告

氏名又は名称

野口副武

住所又は居所

福岡県北九州市若松区大字乙丸八二五番地の三

代理人弁護士

山田敦生

主文

一  原告が、別紙著作物目録記載の著作物について著作権の共有持分二分の一を有することを確認する。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の、その余を被告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が、別紙著作物目録記載の著作物について著作権を有することを確認する。

2  被告らは、別紙書籍目録1ないし3記載の書籍を複製頒布してはならない。

3  被告古田福雄は、別紙書籍目録4ないし6記載の書籍を複製頒布してはならない。

4  被告らは、原告に対し、別紙謝罪広告目録一記載の謝罪文を同目録二記載の要領で同目録三の掲載紙に掲載せよ。

5  被告らは、各自、原告に対し、金二二〇万円及び内金二〇〇万円に対する平成五年一一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに内金二〇万円に対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

6  被告古田福雄は、原告に対し、金五〇四万三五一三円及び内金四五九万三五一三円に対する平成五年一一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに内金四五万円に対する平成七年九月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

7  被告佐藤誠は、原告に対し、金一七万七〇〇〇円及び内金一六万二〇〇〇円に対する平成五年一一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに内金一万五〇〇〇円に対する平成七年九月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

8  被告野口副武は、原告に対し、金二〇万円及び内金一八万二〇〇〇円に対する平成五年一一月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに内金一万八〇〇〇円に対する平成七年九月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

9  訴訟費用は被告らの負担とする。

10  第五項ないし第八項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者等

(一) 亡森田喜次郎(以下「亡喜次郎」という。)は、昭和一八年四月に福岡第一師範学校に助教授として勤務し、昭和三三年一月、福岡学芸大学(現福岡教育大学)の教授に就任し、同大学で体育学を教え、昭和四〇年ごろからは、九州商科大学(現九州産業大学)においても、非常勤講師として、体育学を教えていた。亡喜次郎は、昭和五六年三月、福岡教育大学教授を定年退官し、同大学から名誉教授の地位を付与され、同年九月、九州産業大学教養部(現国際文化学部)体育部体育科主任教授に就任し、昭和六三年三月、同大学教授を退官した。なお、亡喜次郎は、久留米大学において医学博士号を付与されている。

亡喜次郎は、平成二年二月一日、死亡した。

(二) 原告は、亡喜次郎の子である。

(三) 被告らは、いずれも九州産業大学国際文化学部保健体育学科教授である。

2  本件著作物の著作権及び著作者人格権

(一) 亡喜次郎は、昭和六一年ころ、別紙著作物目録記載の体育学の概説書である著作物(以下「本件著作物」という。)を創作し、同年四月一五日、株式会社日本教育研究センター(以下「日本教育研究センター」という。)から、亡喜次郎を著作者として表示した右著作物の複製物である書籍が発行された。

(二) 原告は、平成二年二月一日、亡喜次郎の死亡により、亡喜次郎が有していた本件著作物の著作権を相続した。

3  確認の利益

被告らは、原告が本件著作物の著作権を有することを争っている。

4  被告らの著作権及び著作者人格権侵害行為

被告らは、次の(一)ないし(三)の行為によって、本件著作物について亡喜次郎が有していた著作権及び著作者人格権、原告が有する著作権を侵害した。

(一) 被告らは共同して、昭和六三年四月一五日、日本教育研究センターから、被告らの氏名を著作者として表示した本件著作物の複製物(別紙書籍目録1記載の書籍)を出版させ、その印税として、同年六月二三日、同社から、それぞれ別紙印税一覧表1ないし3の同日欄に記載の金額の金員を受領し、以後、同書籍を九州産業大学の体育学の講義の際に、教科書として使用した。

(二) 被告らは共同して、平成元年から平成三年までの間、日本教育研究センターから、本件著作物の未尾に「第六章 スポーツ心理学」と標題を付した一〇頁の記述を付加した著作物(以下「体育概論2」という。)の複製物(別紙書籍目録2記載の書籍)を、被告らの氏名を著作者として表示して出版させ、その印税として、同社から、別紙印税一覧表1ないし3の右期間中の各日付欄記載の金額の金員を受領し、同書籍を、九州産業大学の体育学の講義の際に、教科書として使用した。

(三) 被告らは共同して、平成四年四月、有限会社シロヤマ企画(以下「シロヤマ企画」という。)から、標題を「体育概論」から「改訂健康教育概論」に変えた体育概論2(以下、右標題を付された体育概論2を「改訂健康教育概論」という。)の複製物(別紙書籍目録3記載の書籍)を、被告らの氏名を著作者として表示し出版させ、その印税として、同年一二月四日、それぞれ別紙印税一覧表1ないし3の同日欄に記載の金額の金員を受領し、平成四年から平成五年までの間、同書籍を、九州産業大学の体育学の講義の際に、教科書として使用した。

5  被告古田の著作権及び著作者人格権侵害行為

被告古田は、次の(一)ないし(三)の行為によって、本件著作物にかかる亡喜次郎及びその相続人である原告の著作権、亡喜次郎の著作者人格権を侵害した。

(一) 被告古田は、昭和六三年ころ、当時、日本文理大学工学部助教授であった訴外岩元正敏(以下「岩元」という。)、同岡村典慶(以下「岡村」という。)、同郡弘文(以下「郡」といい、右三名を併せて「岩元ら」という。)に対し、本件著作物の著作者は被告古田であると偽り、日本教育研究センター発行の被告らを著作者として表示した本件著作物の複製物である書籍(別紙書籍目録1記載の書籍)を、日本文理大学における体育学の講義の教科書として使用すれば、翌年から、岩元らを同書の共同著作者として表示するなどと述べて、同書籍を教科書として使用するよう勧め、岩元らに、同大学における体育学の講義の際、同書籍を教科書として使用させた。

(二) 被告古田は、平成元年四月、日本教育研究センターから、岩元らの氏名を著作者として表示した体育概論2の複製物である書籍(別紙書籍目録4記載の書籍)を出版させ、その印税として、岩元らをして、同年六月六日、日本教育研究センターから、各自、別紙印税一覧表4の同日欄記載のとおりの金員を受領させ、日本文理大学における体育学の講義の際、同書籍を教科書として使用させた。

(三) 被告古田は、平成二年ころ、岩元らに対し、被告古田の氏名を、岩元らとともに体育概論2の著作者として表示するよう求めた。被告古田と岩元らは、体育概論2の著作者として同人ら四名の氏名を表示することを合意し、右合意に基づき、同年四月一五日、日本教育研究センターから、同人ら四名の氏名を著作者として表示した体育概論2の複製物(別紙書籍目録5記載の書籍)を出版させた。被告古田は、岩元らをして、その印税として、同年六月一三日から平成三年六月二〇日まで、二回にわたり、日本教育研究センターから、各自、別紙印税一覧表4の右両日欄記載のとおりの金員を受領させ、平成三年まで、日本文理大学における体育学の講義の際、同書を教科書として使用させた。.

(四) 被告古田及び岩元らは、平成四年四月一五日、シロヤマ企画から、標題を「体育講義―身体運動科学」とし、被告古田及び岩元らの氏名を表示した改訂健康教育概論の複製物(別紙書籍目録6記載の書籍)を発行させた。被告古田は、その印税として、岩元らをして、同年九月三〇日から平成五年七月一五日までの間、三回にわたり、別紙印税一覧表4の右期間中の各日付欄に記載のとおりの金員を、それぞれ受領させ、平成四年から平成五年までの間、同書籍を、日本文理大学の外育学の講義の際に、教科書として使用させた。

6  原告の損害

(一) 被告らの共同不法行為による損害

四二七万〇六九九円

ア 財産的損害 一八八万七六九九円

亡喜次郎及び原告は、被告らの前記3の共同不法行為により、被告らが日本教育研究センター及びシロヤマ企画から受領した別紙印税額一覧表1ないし3記載の印税額(合計一八八万七六九九円)相当の財産的損害を被った。

イ 慰藉料 二〇〇万円

亡喜次郎及び原告が、被告らの前記3の共同不法行為によって受けた精神的苦痛に対する慰謝料の金額は、二〇〇万円が相当である。

ウ 弁護士費用 三八万三〇〇〇円

原告は、本件訴訟を原告訴訟代理人に委任し、本訴における被告らに対する請求に関する費用及び報酬として、被告らに対する請求額の一割相当の金額(三八万三〇〇〇円)を支払う旨を約した。

(二) 被告古田の不法行為による損害

ア 財産的損害 三〇四万九八一四円

亡喜次郎及び原告は、被告古田の前記4の不法行為により、岩元らが日本教育研究センター及びシロヤマ企画から受領した別紙印税額一覧表4記載の印税額(三〇四万九八一四円)相当の損害を被った。

イ 弁護士費用 三〇万円

原告は、本件訴訟を原告訴訟代理人に委任し、被告古田に対する請求(前記(一)を除く。)に関する費用及び報酬として、本訴における被告古田に対する右請求額の一割相当の金額(三〇万円)を支払う旨を約した。

よって、原告は、原告が本件著作物について著作権を有することの確認を求めるとともに、右著作権及び著作権法一一六条一項に基づき、被告らに対し、別紙書籍目録1ないし3記載の書籍の複製頒布の差止め及び別紙謝罪広告目録記載の内容の謝罪広告の掲載を求め、被告古田に対し、別紙書籍目録4ないし6記載の書籍の複製頒布の差止めを求めるとともに、被告らの前記3の共同不法行為に基づく損害賠償請求権の行使として、

被告ら各自に対し、右(一)の金額のうち二二〇万円及び遅延損害金の支払いを、

被告佐藤に対し、右(一)の金額のうち一七万七〇〇〇円及び遅延損害金の支払いを、

被告野口に対し、右(一)の金額うち二〇万円及び遅延損害金の支払いを、

それぞれ求め、被告らの前記4の共同不法行為に基づく損害賠償請求権及び被告古田の前記5の不法行為に基づく損害賠償請求権の行使として、被告古田に対し、前記(一)の金額のうち一九九万三六九九円及び前記(二)の金額の合計額である五〇四万三五一三円及び遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は認める。

2  同(二)は知らない。

3  同(三)は認める。

4  請求原因2(一)の事実のうち、亡喜次郎が昭和六一年ころ本件著作物を創作したこと及び本件著作物の複製物である書籍が、同年四月一五日、日本教育研究センターから出版されたことは認め、その余は否認する。

本件著作物は、亡喜次郎と被告古田が昭和五七年に共同して創作した「健康教育概論」と題する体育学の概説書(以下「健康教育概論」という。)の一部を、亡喜次郎が書き改めたものであり、同書の改訂版であるから、被告古田も、本件著作物について共同著作権を有するものである。

5  請求原因2(二)の事実のうち、亡喜次郎が平成二年二月一日に死亡したことは認めるが、原告が、亡喜次郎の死亡により、本件著作物の著作権を相続したとの主張は争り。

6  請求原因3は認める。

7  請求原因4のうち、冒頭の主張は争う。

同(一)の事実のうち、被告らが共同して、昭和六三年四月一五日、被告らの氏名を著作者として表示した本件著作物の複製物である書籍(別紙書籍目録1記載の書籍)を日本教育研究センターから発行させ、以後、同書を、九州産業大学の体育学の講義の際に、教科書として使用したことは認め、その余は否認する。

8  請求原因4(二)の事実のうち、被告らが共同して、平成元年から平成三年までの間、被告らの氏名を著作者として表示した体育概論2を日本教育研究センターから発行させ、同書を、九州産業大学の体育学の講義の際に、教科書として使用したことは認め、その余は否認する。

9  請求原因4(三)の事実のうち、被告らが共同して、平成四年四月、被告らの氏名を著作者として表示した改訂健康教育概論をシロヤマ企画から発行させ、平成四年から平成五年までの間、同書を、九州産業大学の体育学の講義の際に、教科書として使用したことは認め、その余は否認する。

10  請求原因5のうち、冒頭の主張は争う。

同(一)は否認する。被告古田は、昭和六二年秋ころ、亡喜次郎から、日本教育研究センター常務であった梶野昭信(以下「梶野」という。)に、九州で本を作る見込みのありそうな人を紹介するよう頼まれ、知人である岩元に、電話で、梶野に会うよう依頼したことはあるが、岩元らに対し、日本文理大学において、日本教育研究センターから発行された本件著作物の複製物である書籍(別紙書籍目録1記載の書籍)を教科書として使用するよう依頼したことはない。

11  請求原因5(二)の事実のうち、平成元年四月、日本教育研究センターから、岩元らの氏名を著作者として表示した体育概論2の複製物が発行されたことは認め、その余は知らない。

12  請求原因5(三)の事実のうち、被告古田が、平成二年ころ、岩元らに対し、被告古田の氏名を岩元らとともに体育概論2の著作者として表示するよう求めたこと、被告古田と岩元らは、体育概論2の著作者として同人ら四名の氏名を表示することを合意し、右合意に基づき、同年四月一五日、著作者として同人ら四名の氏名を表示した一体育概論2の複製物を日本教育研究センターから発行させたこと、岩元らが平成三年まで、日本文理大学における体育学の講義の際、同書を教科書として使用したことは認め、その余は知らない。

13  同(四)の事実のうち、被告古田及び岩元らが、同人らの氏名を著作者として表示した改訂健康教育概論の複製物をシロヤマ企画から発行させたこと、岩元らが、日本文理大学の体育学の講義の際に、同書を教科書として使用したことは認め、その余は知らない。

14  請求原因6のうち、被告らが別紙印税一覧表1ないし3記載のシロヤマ企画からの印税を受領したこと及び日本教育研究センターから印税を受領したことがあることは認めるが、その余は否認する。

三  抗弁

1  亡喜次郎の被告らに対する本件著作物の著作権の譲渡及び著作者人格権の放棄

亡喜次郎は、昭和六三年三月、九州産業大学を退官する際、被告らに対し、亡喜次郎を著者として表示しなくてもよいから今後も九州産業大学で本件著作物を教科書として使用するよう述べて、本件著作物の著作権の共有持分を被告らに譲渡し、著作者人格権を放棄した。

亡喜次郎が、被告らに対して著作権の共有持分を譲渡し、著作者人格権を放棄したことは、その後、被告古田が、日本教育研究センターから発行された被告らを著作者として表示した体育概論2の複製物を亡喜次郎に見せた際、亡喜次郎がその発行を大変喜び、その後も、自分が著作者として表示されないことに関して苦情を述べたことがなかったことからも明らかである。

2  亡喜次郎の被告らに対する本件著作物の利用許諾

仮に、亡喜次郎が右1の行為によって、被告らに対し、本件著作物の利用を許諾したにすぎなかったとしても、右利用許諾は、排他的利用許諾であり、被告らはこれによって本件著作物を独占的に利用する権利を取得した。

四  抗弁に対する認否及び反論

抗弁1、2の事実は、いずれも否認する。

仮に、被告ら主張のような事実があったとしても、それは本件著作物の利用許諾にすぎず、平成二年二月一日の亡喜次郎の死亡によって、右利用許諾の効力は消滅した。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

第一  本件著作物の著作権の帰属について

一  原告は、本件著作物の著作権の帰属につき、本件著作物は亡喜次郎が単独で著作し、原告は亡喜次郎が有していた著作権を相続により取得したと主張するのに対し、被告らは、本件著作物は亡喜次郎と被告古田の共同著作物であり、被告らは、昭和六三年三月、亡喜次郎から、著作権の共有持分を譲り受けたと主張するので、本件著作物の著作権の帰属について判断する。

請求原因1(一)及び(三)の各事実、請求原因4の事実のうち、被告らが、昭和六三年四月一五旧、被告らの氏名を著作者として表示した本件著作物の複製物(別紙書籍目録1記載の書籍)を、日本教育研究センターから発行させたことは、当事者間に争いがなく、右争いのない事実、甲一、五ないし九、甲一一、一三、二二、乙一ないし七(枝番を含む。)、証人岩元正敏、同白橋眞喜、被告古田本人、同佐藤本人、後に掲げる各証拠によれば、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  亡喜次郎は、昭和一八年四月に福岡第一師範学校に助教授として勤務し、昭和三三年一月、福岡学芸大学(現福岡教育大学)の教授に就任し、同大学で体育学を教えていたが、昭和四〇年ごろからは、九州商科大学(現九州産業大学)においても、非常勤講師として、体育学を教えるようになった。亡喜次郎は「昭和五六年四月、福岡教育大学教授を定年退官し、同大学から名誉教授の地位を付与され、以後、非常勤講師として同大学で体育学を教えるとともに、近畿大学工学部においても、非常勤講師を勤めた。 亡喜次郎は、同年九月、九州産業大学教養部体育部体育科主任教授に就任した(甲一九の一ないし三、甲二二、証人白橋眞喜)。

2  被告古田は、昭和四一年に九州産業大学教養部(現国際文化学部)体育部体育科の助手に就任した後、昭和四四年四月、同学部講師、昭和四八年四月、同学部助教授、昭和五八年、同学部教授に就任し、同学部で体育学を教えている(被告古田本人)。

被告佐藤は、昭和四〇年一〇月、九州産業大学教養部(現国際文化学部)体育部体育科の助手となった後、昭和四六年四月、同学部講師、昭和五一年四月、同学部助教授、平成二年四月、同学部教授に就任し、同学部で体育学を教えている。また、被告佐藤は、亡喜次郎から勧められて、昭和四一年から、福岡教育大学にも非常勤講師として勤務するようになり、平成五年三月まで、同大学で体育学を教えていた(被告佐藤本人)。

被告野口は、昭和四二年四月に九州産業大学教養部(現国際文化学部)の助手となった後、昭和四六年四月、同学部講師、昭和五一年四月同学部助教授に就任し、その後、同学部教授に就任した(甲二七)。

3  亡喜次郎は、昭和四五年ころ、当時九州産業大学教養部(現国際文化学部)講師であった被告古田に対し、体育学の講義に使用する教科書を作成する必要性があると説き、被告古田に対し、体育学の教科書作成のための資料を集めるよう指示した。

亡喜次郎は、自ら原稿を執筆すると同時に、被告古田に執筆すべき箇所を指示し、被告古田が指示に基づいて執筆した原稿に手を入れ、自らが執筆した原稿を被告古田に見せて被告古田と意見を交換するなどして、教科書作成の準備を進め、昭和五二、三年ころには、草稿がほぼ出来上がった(被告古田本人)。

4  亡喜次郎は、昭和五六年九月に九州産業大学の教授に就任すると、被告古田に、従前執筆した前記3の原稿及び資料を渡し、日本教育研究センターの常務であった梶野を紹介し、同人と協力して、右原稿と被告古田の執筆した原稿及び資料をまとめ、体育学の教科書として仕上げるよう指示した。

被告古田は、亡喜次郎に相談しながら、梶野と共に、亡喜次郎が執筆した原稿、自ら執筆した原稿、自らが日本体育協会等から取り寄せたデータ等を「健康教育概論」と題する体育学の概説書にまとめた。同著作物(以下「健康教育概論」という。)のうち被告古田が執筆を担当した箇所は、第一章「健康」のうち、1「健康の定義」のロ「社会的に良好な状態」(甲一一の一一頁一から2「健康成立の基本的条件」の〔C〕「日々の生活行動」の「イ 健全な栄養摂取」の項の末尾(甲一一の六八頁)までである。

日本教育研究センターは、昭和五七年四月一日、亡喜次郎と被告古田の氏名を著作者として表示した健康教育概論(乙一の一ないし四は、その抜粋)と、亡喜次郎のみを著作者として表示した健康教育概論を発行したが、被告古田は、亡喜次郎から、健康教育概論は、亡喜次郎一と被告古田が二人で作ったものだと言われ、亡喜次郎のみを著者として表示した健康教育概論が発行されたことは聞かされていなかったため、亡喜次郎のみを著者として表示した健康教育概論が発行されたことは知らず、後年、日本教育研究センターの梶野から聞いて初めて、そのような健康教育概論が発行されていたことを知った。

被告古田は、亡喜次郎から、健康教育概論の印税の額は微々たるものであると聞かされたので、亡喜次郎に印税全額を受け取るよう勧めた。

被告古田は、印税を支払った旨の領収書等に印鑑を押捺したが、実際には、印税を受領していない(乙一の一ないし.四、乙七の一ないし三、被告古田本人)。

5  日本教育研究センターは、昭和五九年四月までに、亡喜次郎と被告古田を著者として表示した健康教育概論と亡喜次郎のみを著者として表示した健康教育概論の双方を第四刷まで発行し、昭和六〇年四月一〇日、双方について改訂版(第二版)を発行したが、被告古田は、亡喜次郎からも日本教育研究センターからも、事前に、健康教育概論が改訂されることを知らされなかった(乙一の一ないし四、乙七の一ないし三、被告古田本人)。

6  亡喜次郎は、昭和五九年ころ、健康教育概論に新たな章を書き加える等してこれを書き改めることを計画し、自ら健康教育概論の記述の一部を書き直す作業を開始するとともに、右概説書に使用するため、被告野口に岸野雄三著「改訂体育の文化史」や亡喜次郎が作成したメモ等の資料を与え、体力づくりをテーマとして原稿を書くよう指示した。

亡喜次郎は、昭和六一年ころ、健康教育概論の記述の一部、健康教育概論の記述の一部を自ら書き改めたもの、被告野口が執筆した体力づくりに関する記述、被告佐藤の著作物である「学生の健康状況に関する研究(第一報)」ないし「学生の健康状況に関する研究(第三報)」と題する一連の論文(順次、九州産業大学教養部昭和五八年発行の雑誌「紀要」一九巻二号二七頁以下、同二〇巻一号一頁以下掲載、同二〇巻二号三一頁以下に掲載。以下、順次「佐藤論文一」「佐藤論文二」、「佐藤論文三」という。)の記述、図、表の一部、被告佐藤、被告野口他四名の共同著作物である「本学学生の体格・体力の実態について」と題する論文(昭和五九年発行「紀要」二一巻二号七七頁以下に掲載)の記述、図、表の一部をまとめて、本件著作物を著作した。亡喜次郎は、被告野口に対しては、事前に、同人の右記述を本件著作物の一部に使用する予定であることを告げていたが、被告佐藤に対しては、事前に、同人の右著作物の一部を自らの著作物に使用する予定であることを告げたことはなく、また、被告古田に対しても、健康教育概論の記述を中の被告古田が執筆した記述をそのまま使用したことを告げていなかった(甲一、乙八ないし一一(枝番を含む。)、乙一四ないし一七(枝番を含む。)、被告古田本人、同佐藤本人)。

7  本件著作物には、健康教育概論にはなかった「体育の特性」、「自信のある健康づくり」といった章が新たに設けられ、健康教育概論にみられた「学校保健制度」の章が削られるなど、その構成が健康教育概論とは一部異なるものとなっている他、健康教育概論と同じテーマを扱った章の記述の一部にも、加筆や削除が施されている。

本件著作物に用いられている健康教育概論の記述のうち、被告古田が執筆した記述(健康教育概論第一章の2「健康成立の基本的条件」)がそのまま用いられている箇所は、本件著作物第二章の2「健康成立の基本的条件」の記述の部分である。

また、本件著作物には、以下のような、被告佐藤の著作物である佐藤論文一ないし佐藤論文三の記述や図、表等と同一の記述等がみられる。すなわち、本件著作物一七頁の「青年期にある大学生は」から「もっとも重要なことである。」で終わる五行の記述は、佐藤論文一の「1 目的」の項の「青年期にある大学生は」から「もっとも重要なことである。」でまでの記述と全く同一であり、本件著作物一七頁で紹介されている、学生に対する健康意識に関するアンケート調査の結果は、被告佐藤が実施し前記各論文で公表したアンケート調査の結果の一部である。また、本件著作物二〇頁の「学生居住形態」と題する表及びグラフは、佐藤論文二の中の「表―1 本学学生の居住形態」と同一のものであり、本件著作物三一頁の「図3 食事の摂取状況」と題するグラフは、同論文中の「図―5食事の摂取状況」と題するグラフと同一であり、本件著作物中の表あるいはグラフのうち八か所は、被告佐藤が、九州産業大学の学生を対象として実施したアンケート調査の結果を表あるいはグラフにまとめ、佐藤論文一ないし三に掲載したものと同一のものである。これらの調査結果の分析に関しても、本件著作物八三頁「項目区分別平均訴え率の」から始まり「女子の方にやや高い有訴率がみられている。」で終わる八行の記述は、被告佐藤の前記論文「学生の健康状況に関する研究(第三報)」六一頁「項目区分別の平均訴え率の」から始まり「女子がやや高い有訴率であった。」で終わる八行の記述と、表現上の些細な違いはあるものの、内容は同一であり、被告佐藤の前記各論文における調査結果の分析の記述と同旨の部分が多く見受けられる。

本件著作物には、これらの箇所の記述あるいは表、グラフ等の出典は記載されていない。

また、本件著作物の第四章「体力づくり」は、被告野口の記述に修正を加えたものである(甲一、乙八ないし一一(枝番を含む。)、乙一四ないし一七(枝番を含む。))。

8  亡喜次郎は、日本教育研究センターに、本件著作物の複製物の発行を依頼したが、その際、亡喜次郎を著作者として表示したものの他、被告らに無断で、被告古田を著作者として表示したもの、亡喜次郎と被告佐藤を著作者として表示したもの、亡喜次郎と被告野口を著作者として表示したものも発行するよう依頼した。日本教育研究センターは、亡喜次郎の依頼どおり、昭和六一年四月一五日、本件著作物の複製物を、右の四つの形で発行した(このうち、亡喜次郎と被告佐藤、亡喜次郎と被告野口の共著の体裁をとるものはいずれも、奥付けの部分では著者として亡喜次郎と被告佐藤あるいは被告野口の氏名を表示し、表紙部分では、著者を被告佐藤あるいは被告野口とし、監修者を亡喜次郎と表示している。)(甲一、乙四の一ないし三、乙五の一ないし三、乙六の一ないし三)。

9  被告佐藤は、本件著作物の複製物が発行されてまもない同年四月か五月ころ、九州産業大学構内の亡喜次郎の研究室において、亡喜次郎から、日本教育研究センターが発行した、亡喜次郎と被告佐藤を著作者として表示した本件著作物の複製物を見せられ、これを講義に使用し、学生に売るように勧められた。

被告佐藤は、本件著作物に、佐藤論文一ないし三の記述の一部、表、グラフ等が無断で使用されたことを知り、憤りを感じたが、亡喜次郎には従前から体育学の理論等を教えられる等して世話になっており、また、亡喜次郎が、本件著作物の共同著作者と表示することによって被告佐藤を引き立てようとしていると感じたため、前記論文の記述等の無断使用等について抗議せずに、亡喜次郎の勧めに従って、日本教育研究センターから発行された、亡喜次郎と被告佐藤を著作者として表示した本件著作物の複製物を、自らの体育学の講義の際、教科書として使用し、学生にも使用を勧めた。

右の際、亡喜次郎は、被告佐藤に対し、亡喜次郎と被告佐藤を著作者として表示した本件著作物の複製物を示しただけで、これと同時に、被告古田あるいは亡喜次郎と被告野口を著作者として表示した本件著作物の複製物が発行されたことは告げなかったため、被告佐藤は、右事実を知らなかった。被告佐藤は、同年九月ころ、九州産業大学の学生から、亡喜次郎と被告佐藤以外の者を著作者として表示した本件著作物の複製物が発行されていることを聞かされ、右事実を知るようになった。

10  被告古田は、同年、亡喜次郎から、被告古田を著作者として表示した日本教育研究センター発行の本件著作物の複製物を渡され、同書を体育学の講義に使用するよう勧められた。被告古田は、本件著作物は、亡喜次郎と被告古田が共同で著作した健康教育概論を、亡喜次郎が書き改めた改訂版であると理解した。被告古田は、右複製物に亡喜次郎が著作者として表示されていない理由を尋ねたが、亡喜次郎は、被告古田にとっては、単独で著作者として表示されていた方がやりやすいであろうと述べ、亡喜次郎が著作者として表示されていない点については心配しなくてもよいと述べた。

その後、被告古田は、被告佐藤や被告野口が亡喜次郎と共同著作者として表示された本件著作物の複製物が日本教育研究センターから発行されていることを知って驚き、亡喜次郎に事情を尋ねたが、亡喜次郎は、みんなで仲良くやればよいと答えた。被告古田は、被告佐藤や被告野口に対し、同人らが著作者として表示されていることについて苦情を述べたが、被告佐藤らは、自分たちも、事前には、著作者として表示されることは知らされていなかったと答えた。

11  被告らは、九州産業大学における体育学の講義の際、これらの本件著作物の複製物を教科書として使用していたが、次第に、本件著作物の内容が古くなってきたので、本件著作物を廃版とし、新たな体育学の教科書を作りたいと考えるようになった。

被告らは、昭和六三年三月、亡喜次郎が九州産業大学を退官する際、亡喜次郎に対し、本件著作物の内容が古くなっているので廃本にしたいと申し入れたが、亡喜次郎は、被告らに対し、自分の名前を著者として表示しなくてもよいから、自分の精神を学生に伝えるため、今後も、被告らの名前で本件著作物を残し、九州産業大学で教科書として使用し続けてもらいたいと述べた。

被告らは、亡喜次郎を著者として表示しないと、亡喜次郎の著作権をめぐって問題が生じるのではないかと懸念し、日本教育研究センターの梶野に、亡喜次郎の意思を確認するよう依頼した。梶野は、被告らに対し、亡喜次郎が自己の氏名を本件著作物の著者として表示しないことについて了解しており、梶野自身も、亡喜次郎を著者として表示しないことについて亡喜次郎と話をつけたから心配はいらない旨述べた。

被告らは、亡喜次郎の氏名を著者の表示から外し、被告ら三名を著者として表示して、本件著作物を日本教育研究センターから発行してもらうことにし、日本教育研究センターは、昭和六三年四月一五日、被告ら三名を表示した本件著作物の複製物である書籍(別紙書籍目録1記載の書籍)を発行した(甲五、一三、被告古田本人、同佐藤本人)。

12  亡喜次郎は、九州産業大学退官後も、福岡教育大学及近畿大学工学部の非常勤講師の地位にあり、近畿大学における体育の講義では、本件著作物の複製物である書籍を教科書として使用していた(甲一九の一ないし三、甲二二、証人白橋眞喜、原告本人)。

13  亡喜次郎は、九州産業大学退官後、肝硬変のため、久留米大学付属病院に入退院を繰り返すようになった(甲二二、原告本人)。

被告古田と被告野口は、昭和六三年、久留米大学付属病院に入院していた亡喜次郎を訪れ、日本教育研究センター発行の被告らを著作者として表示した本件著作物の複製物である書籍(別紙書籍目録1記載の書籍)を見せたところ、亡喜次郎は、これを見て喜び、これで良いと述べた。その後も、被告古田は、同病院に入院中の亡喜次郎を訪れ、日本教育研究センターから出版された被告らを著作者として表示した体育概論2の複製物である書籍(別紙書籍目録2記載の書籍)を見せるなどしたが、亡喜次郎が死亡する平成二年二月一日までの間、亡喜次郎が、これらの書籍が発行されたことや、これらの書籍に自らの氏名が著作者として表示されていないことについて、苦情を述べたことはなかった(被告古田本人、同佐藤本人)。

14  原告は、亡喜次郎の死亡後、共同相続人である亡喜次郎の妻、亡喜次郎の原告以外の二人の子(原告の姉妹)と協議し、健康教育概論及び本件著作物について亡喜次郎が有していた権利を、原告が単独で承継することを合意した(甲二二、原告本人)。

二  本件著作物の著作者について

右認定事実によれば、被告古田は、健康教育概論の記述の一部を自ら執筆しただけでなく、亡喜次郎が執筆を担当した箇所についても、亡喜次郎の原稿を見て意見を述べ、両名が意見交換をしながら執筆した原稿を、亡喜次郎と相談しながら、梶野の助力を得て体育学の教科書としてまとめたのであるから、自らが執筆を担当した箇所だけでなく、健康教育概論全体について、亡喜次郎と共同して創作に従事したものと認められ、健康教育概論は、亡喜次郎と被告古田が共同して創作した共同著作物であるということができる(その持分は民法二六四条、同法二五〇条により二分の一と推定される。)。

そして、前記一の認定事実によれば、本件著作物は、亡喜次郎が、被告古田との共同著作物である健康教育概論を基に、新たな章を書き加える等してこれを書き改めたものであって、健康教育概論中の記述の一部が、被告古田が執筆を担当した部分も含めてそのまま使用されていることが認められ、亡喜次郎自身、日本教育研究センターに対し、被告古田を単独で著作者として表示した本件著作物の複製物を発行するよう依頼し、被告古田に対し、右複製物である書籍を、体育学の講義の際の教科書として使用するよう被告古田に勧めるなど、被告古田が本件著作物の共同著作者であることを前提とした扱いをしていたことが認められる。右事実によれば、本件著作物は、亡喜次郎と被告古田の共同著作物と認めるのが相当である(なお、仮に、本件著作物が亡喜次郎と被告古田の共同著作物ではなく、亡喜次郎が単独で創作した著作物であるとしても、亡喜次郎が自ら、被告古田を単独で著作者として表示した本件著作物の複製物の発行を日本教育研究センターに依頼し、右複製物である書籍を教科書として使用するよう被告古田に勧めた事実からすれば、亡喜次郎は、健康教育概論を書き改めたものである本件著作物についても、健康教育概論と同様に、被告古田にその著作権の共有持分があるものと考えていたということができ、右のとおり被告古田に同人を著作者として表示した本件著作物の複製物である書籍を教科書として使用するよう勧めたことによって、被告古田に対し、本件著作物の共有持分を黙示に譲渡したとみるのが相当である。)。したがって、亡喜次郎と被告古田は、本件著作物の著作権を共有していた(その持分は民法二六四条、同法二五〇条により二分の一と推定される。)ということができる(なお、被告らは、被告佐藤及び被告野口については、本件著作物の共同著作者である旨の主張をせず、右両名が本件著作物の全体について、亡喜次郎と共同して創作したことを窺わせる証拠も存しない。)。

三  本件著作物の著作権の譲渡及び著作者人格権の放棄の有無について

亡喜次郎は、右一で認定したとおり、昭和六三年三月、九州産業大学教授を退官する際、被告らに対し、自分の名前を著作者として表示しなくてもよいから、自分の精神を学生に伝えるため、今後も、被告らの名前で本件著作物を残し、同大学の教科書として使用し続けるよう述べ、その後、被告古田及び被告野口から、日本教育研究センター発行の被告らを著作者として表示した本件著作物の複製物である書籍(別紙書籍目録2記載の書籍)を見せられた際も、右発行を喜び、平成二年二月に死亡するまで、被告らに対し、自己の氏名が本件著作物の著作者として表示されていないことについて何ら不服を述べなかったのであるが、同時に、昭和六三年三月以降も、近畿大学における体育学の講義で、自らを著作者として表示した本件著作物の複製物を教科書として使用し続けたのであり、これを使用し続けることについて被告らに承諾を求めた様子も窺われない。

以上の事実を総合すると、亡喜次郎は、昭和六三年三月ころ、前記のように述べたことによって、被告らが、亡喜次郎を著作者として表示しないで本件著作物を利用し、これに改訂を施す等の改変を行うことまでは許容していたものの、これによって自らが本件著作物を利用する権利を失うことまでは予定していなかったとみるのが相当である。そうすると、亡喜次郎の右意思表示は、被告らに対する本件著作物の単純利用許諾、氏名表示権及び同一性保持権の放棄の意思表示であるとみるのが相当であって、著作権の共有持分の譲渡ないし排他的利用許諾の意思表示には当たらないというべきであるから、亡喜次郎は、本件著作物の著作権を共有持分二分の一を被告らに譲渡しておらず、原告は、亡喜次郎の右共有持分を相続によって取得したということができる。

被告らは、原告が本件著作物の著作権を有することを争っているのであるから、原告の本件著作物の著作権を有することの確認を求める訴えは、確認の利益のある適法なものということができる。

したがって、原告の本件著作物の著作権を有することの確認を求める請求は、原告が著作権の共有持分二分の一を有することの確認を求める限度で、理由がある。

第二  被告らによる著作権及び著作者人格権侵害行為について

一  請求原因4の事実のうち、被告らが、昭和六三年四月一五日、被告らの氏名を著作者として表示した本件著作物の複製物である書籍(別紙書籍目録1記載の書籍)を日本教育研究センターから発行させたこと、平成元年から平成三年までの間、本件著作物の末尾に「第六章 スポーツ心理学」と標題を付した一〇頁の記述を付加した体育概論2の複製物である書籍(別紙書籍目録2記載の書籍)を、被告らの氏名を著作者として表示させて、日本教育研究センターから発行させたこと、平成四年四月、本件著作物の末尾に「第六章 スポーツ心理学」と題する一〇頁の記述を付加した改訂健康教育概論の複製物である書籍(別紙書籍目録3記載の書籍)を、被告らの氏名を著作者として表示させて、シロヤマ企画から発行させたこと、被告らがこれらを九州産業大学の体育学の講義の際に、教科書として使用したこと、請求原因5の事実のうち、平成元年四月、日本教育研究センターから、岩元らの氏名を著作者として表示した体育概論2の複製物である書籍(別紙書籍目録4記載の書籍)が発行されたこと、被告古田が、岩元らに対し、被告古田の氏名を岩元らとともに体育概論2の著作者として表示するよう求め、被告古田と岩元らが、合意に基づき、平成二年四月一五日、著作者として同人ら四名の氏名を表示した体育概論2の複製物である書籍(別紙書籍目録5記載の書籍)を日本教育研究センターから発行させたこと、岩元らが、平成四年四月一五日、被告古田及び岩元らの氏名を表示した改訂健康教育概論の複製物である書籍(別紙書籍目録6記載の書籍)を、日本文理大学の体育学の講義の際、教科書として使用したことは、当事者間に争いがない。

二  原告は、右一の被告ら及び被告古田の行為が亡喜次郎及び原告の著作権の侵害行為並びに亡喜次郎の著作者人格権の侵害行為に当たると主張する。

しかしながら、前記第一の三のとおり、亡喜次郎は、昭和六三年三月、被告らに対し、本件著作物の利用を許諾し、自らの氏名表示権及び同一性保持権を放棄しており、原告は、右利用許諾によって生じた被告らの本件著作物の利用を許すべき義務を、相続によって亡喜次郎から承継したということができる。そして、右一の被告らの行為はいずれも右利用許諾に基づく利用権の行使として、被告古田の行為は本件著作物の著作権の共有持分及び右利用権の行使として、それぞれされたものと認められる。また、右一の各行為のうち、亡喜次郎が死亡した平成二年二月一日以後、被告らが亡喜次郎の氏名を本件著作物の著作者として表示しなかったこと、本件著作物に改変を加えたことも、著作権法六〇条ただし書にいう「当該著作者の意を害しないと認められる場合」に当たるということができる。

したがって、右各行為が亡喜次郎及び原告の著作権、亡喜次郎の著作者人格権に対する侵害行為であるとしてされた、原告の被告らに対する別紙書籍目録1ないし3記載の書籍の複製頒布行為の差止め、被告古田に対する別紙書籍目録4ないし6記載の書籍の複製頒布行為の差止めを求める請求、被告ら及び被告各人に対する損害賠償請求並びに被告らに対する謝罪広告掲載の請求は、いずれも理由がない。

なお、原告は、平成二年二月一日の亡喜次郎の死亡によって、右利用許諾の効力が消滅したと主張するが、本件の全ての証拠によっても、昭和六三年三月の利用許諾の際、被告らの本件著作物の利用期間を亡喜次郎の生存期間中に限定する旨の合意がされていたとは認められず、他に、右利用許諾の効力の存続期間を原告主張のように限定的に解すべき理由もない。したがって、原告の右主張は失当というべきである。

三  原告は、被告古田が、昭和六三年ころに岩元らに対し、本件著作物の著作者は被告古田であると偽り、日本教育研究センターから発行された被告らを著作者として表示した本件著作物の複製物である書籍(別紙書籍目録1記載の書籍)を、日本文理大学における体育学の講義の教科書として使用するよう勧め、岩元らに、同大学における体育学の講義の際、同書籍を教科書として使用させ、もって、亡喜次郎の著作権及び著作者人格権を侵害した旨主張する。

甲一三、乙四の一ないし三、証人岩元正敏、被告古田本人(ただし、以下の認定事実に反する部分を除く。)によれば、被告古田は、昭和六二年一〇月ころ、岩元に対し、電話で、自己の著作物を日本文理大学で教科書として採用してほしいと依頼し、右依頼に関して梶野と会ってくれるよう述べたこと、梶野は、日本文理大学に赴いて岩元に会い、被告古田を著者として表示した本件著作物の複製物を示し、同書籍を同大学の体育の教科書として採用してほしいと依頼したこと、岩元は、岡村、郡と相談の上、同書を、同大学における次年度(昭和六三年度)の体育の教科書として採用することにしたこと、岩元らは、梶野から、被告古田が本件著作物の著作権を有していると聞かされていたため、本件著作物は、被告古田が単独で著作したものと理解していたこと、昭和六三年四月ころ、日本教育研究センターから岩元らに送付された本件著作物の複製物には、被告らの氏名が著作者として表示されていたことが認められる。

しかしながら、前記のとおり、被告古田は、亡喜次郎から本件著作物の利用許諾を受ける昭和六三年以前から、本件著作物の著作権の共有持分を有していたものであり、また、前記第一の一の認定事実によれば、亡喜次郎は、健康教育概論の共同著作者である被告古田に事前に断りなく、被告古田が執筆した健康教育概論の記述の一部を本件著作物にそのまま使用し、昭和六一年四月に日本教育研究センターから本件著作物の複製物の出版を依頼した際にも、本件著作物の共同著作者である被告古田に断りなく、亡喜次郎のみを著作者として表示したもの、被告古田のみを著作者として表示したもの、亡喜次郎と被告佐藤、亡喜次郎と被告野口をそれぞれ共同著作者として表示したものを出版するよう依頼し、右出版後、被告古田に対して、被告古田のみを著作者として表示した日本教育研究センター発行の本件著作物の複製物を渡して、同書を体育学の講義に使用するよう勧め、被告古田にとっては単独で著作者として表示されていた方がやりやすいであろうと述べ、亡喜次郎が著作者として表示されていない点については心配しなくてもよいと述べていたのである。

右事実によれば、亡喜次郎は、昭和六一年ころ、本件著作物の著作権の共有持分及び氏名表示権の行使に関し、被告古田に対し、被告古田が、亡喜次郎を共同著作者として表示しない方法で本件著作物の複製物を作成、頒布することを許諾していたと認められる。したがって、被告古田が、昭和六二年秋ころに、岩元に対し、本件著作物が亡喜次郎との共同著作物であることを告げずに、自らを著作者であると述べ、その複製物を日本文理大学の体育学の教科書として採用するよう依頼した行為は、被告古田が、亡喜次郎の右許諾された範囲内で行った本件著作物の著作権の共有持分の行使であって、亡喜次郎の著作権の共有持分を侵害するものではなく、亡喜次郎の氏名表示権を侵害するものでもないということができる。

したがって、右行為をもって、亡喜次郎が有していた本件著作物の著作権及び著作者人格権の侵害であるとする原告の主張は、採用することができず、右主張を前提とする原告の被告古田に対する損害賠償請求は、理由がない。

第三  結論

以上によれば、原告の請求のうち、本件著作物の著作権を有することの確認を求める請求は、原告が右著作権の共有持分二分の一を有することの確認を求める限度で理由があるから、右の限度でこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

平成一〇年三月二七日口頭弁論終結

(裁判官 下野恭裕 裁判官 武田美和子)

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